どうも、鳥です。
自分語りしまーす!
(ほんとにダラダラ喋るしクサい話もするので飽きたら切り上げてください)
・S1
6世代を惜しみつつアローラ地方へ。
ジムバトルが無くなり島巡りになるなど新しい試みが多くされていて、ストーリーも非常にワクワクしました。
僕は6世代の頃からサザングロスを使っていたのですが...
メガシンカの仕様変更でグロスは初ターンからs110族で動けるようになりました。
皆がメガガルーラを使っている中、メタグロスでPCLに出場し対戦相手から「マイナーですね」と言われたりした身からすると、手のひら返してグロス使ってる人を見ると複雑な気持ちになりました。
一方サザンドラは守り神やミミッキュ等の強力なフェアリータイプの登場によりかなり動きにくくなってしまいました。悲しひ。
s1はサザングロスの受け構築を使っていましたが、どうもサザンドラが動きにくいので最後にはハッサムとポリゴン2を軸にしたパーティを使っていたような気がします。
最高レートは18後半でした。
この頃行われたビードロの月1大会「旅パ杯」はタイトル通り旅パで戦う大会だったのですが、「ストーリー中でサザングロスが組める」と知った僕は育成がダルいサザンドラやグロスを旅パに採用。その他のメンツもゲンガーやギャラドスとガチガチのパーティで結果として優勝してしまい顰蹙を買った覚えがあります(ごめんなさい)
・S2
s2はサザングロスが思うように扱えなかった為、6世代でグロス以外に使っていたメガであるボーマンダを軸にしたパーティを使いました。
相変わらずの強さで本当にスキンの倍率が下がったのか疑うレベルでした。
この構築ではヤチェガブを採用していたのですが、後々かなり流行ることを考えると先見の明があったのかもしれません。最高レートを覚えてないぐらいなので使いこなせていなかったのだと思いますが...笑
・S3
スカーフテテフが流行っていたことや、ミミッキュが居ても通せるギミックを考えた結果、ツボツルギを採用。
この時使っていたカクトウZフェローチェはその後も愛用していました。
最高レートは19前半。
この時期は大学の新学期であり、今のビードロの3年生が新入生として入部してきた年です。新歓では慣れないブルドヒグライを使って1年生を虐めていたのですが、上級生相手に5連勝していたジオンに対してだけは「ポケサーの部長として負けるわけにはいかない」と本気を出してツボツルギを持っていきました(勝ちました)
半年前の学祭に来てくれたひるまっくがビードロに入部したのもこの時期です。
この頃の彼は若々しく髪も鮮やかで綺麗な日本語を話す好青年でした。
・S4
この頃は「前期に自分が当たって辛かった構築」を使うと決めていたのでモロバレルとガルーラから構築探しをスタート。結果的にモロバレルは構築から抜け、カバルドンで起点を作ってボディパカグヤで殴る構築となっていました。
このボディパカグヤはこの後も様々な構築で結果に貢献してくれました。
このシーズンで解禁されたメガバシャーモがやや向かい風ではありましたが、レート2000を達成。ORASで21に乗って以来1年以上ぶり、自身二度目のレート2000だったので嬉しかったです。
(この頃僕は催眠アンチだったらしいです。おかしいですね)
代表選考戦1位としてPCLに1戦だけ臨んだ試合はこの構築を持っていきました。
PCLは前の年で全国ベスト8を経験しており、正直代表戦に疲れてしまっていたため、2位のジオンに試合のほとんどを任せてしまいました。
1年生にはかなり負担だったかな...?
その後は現役を引退したことと、2年連続部内1位のまま勝ち逃げしたいという卑怯な思いから、PCL代表選考戦は運営という形で携わっています。
この時期に偶然レートで再会を果たした1年前のPCL代表ゆうき君とはその後レート通話を頻繁にする仲になりました。
・S5
ORASs18で使用していたゲンガナンス偽装対面構築をリメイクしたいと思いオリジナルの構築を使っていました。
結果は199?。あと一歩でした。7世代ではこの後、19には毎シーズン乗っていたような気がしますがこのようにあと少しで20というところで力尽きるパターンが多くありました泣
この頃から徐々にビードロのレ会の文化が生まれていたような気がします。
・S6
現役、および部長を引退するシーズンでした。OBも同期も7世代ではほとんどポケモンをしておらず、2年以上1人ぼっちでレートをし続けてきた僕は正直なところサークル内では1番強かったと思います。
そこで「後輩たちよ、部長が引退する前に超えて見せろ」とs6の部内レート1位に寿司を奢る寿司レを宣言。死闘が幕をあけました。
後輩たちにゼンリョクで応えるため、1年半前のoras2100の栄光を超えられず僕個人でもモヤモヤしていたため、封印していた奥義「馬車バトン」を解禁しました。
部内1位をめぐる争いはいつしかひるまっくとの一騎打ちとなっており、PGLランキング2ケタに入ってもなお潜りつつけるハイレベルな戦いに。
バイトが終わって帰ってきたらTwitterを確認。互いに「今日は最終????で終わります」と言って相手が寝たであろう後にこっそりそのレートを超すという夜襲を繰り返していました。
途中でDSが故障し絶体絶命となるひるまっく、瞬間10位を記録し2ロム2000で安全にレートを伸ばすうぐいす。
こんな構図が出来ていましたがマンガやアニメでこのような場合は劣勢な主人公が逆転して勝利!感動!というのがお決まりのパターン。
最終日、最高2087で僕が撤退。僕は勝ちを確信していましたが、昼マックが鼻血を流しながらの怒涛の追い上げで2100を達成。
この頃に使っていたひるまっくの構築こそ、あの有名な「アーケデンジュ」です。
他の方が考えた構築で潜っていた僕と、その後何シーズンも通用する構築を自分で考え、化石ポケモンと2100を達成した昼マック。最高レートだけ見れば1勝差かもしれませんが、これは僕の完敗でした。
1シーズン本気で戦いあった昼マックが21に乗って泣いているのを見て僕ももらい泣き。
次の日は学祭だったのですが最悪のコンデションでした笑
3代目部長を引退3日前に倒した昼マックは4代目部長に就任しました。
1代目部長がビードロを立ち上げ、2代目部長がサークルの形にした...なんて話を聞きます。
3代目部長の僕はというと、内政に関しては副部長に丸投げ、外政には全くの無関心とそれはまぁ酷い部長でした。
なにか遺したことがあるとすれば誰もやらなかったレートを2年間1人でやり続けたことかなぁと思っていて、これが今の「強いビードロ」の礎になっていたのなら嬉しく思います。
そして部長であった年に一緒にレートをする後輩ができたこと、引退する前に後輩が自分を超えていってくれたことも凄く嬉しく、改めてひるまっくをはじめ後輩の皆に感謝です。
話し過ぎましたね。レートの話に戻りましょう。
・S7
前期のエース、ギャラドスがミミッキュを貫ける点で非常に強かったので引き続き採用。起点サポートとしてキュウコンを採用しました。
この鳥...また21を逃していますね。
「アローラキュウコン全1」かと思ったのですが、このシーズンに2100を達成した方がいてそれも逃していました泣
このシーズンにきゅーりが2000を達成。4月時点では全くの初心者だったのに半年で2000は本当に凄いです。7世代が終わろうとしている今、1番強いビードロ民は僕はきゅーりだと思っています。普段の問題児っぷりが目立ちますが、ストイックにポケモンする姿、尊敬してます。
この頃のレ会は息抜きにマリオカートをしていたのですが、法整備がされておらず、罰ゲームに三角チョコパイ2種を人数分買わせたり、逆に罰ゲームにお菓子を買いに行ったはずの人がチータラを買って帰ったりとやりたい放題でした。
その後ビードロマリカのレギュレーションはしっかりと定められ、外部の方でも安心して参加できる行事となっています。
成人式に行って帰ってきたひるまっくの様子がおかしくなったのもこのシーズン。
・S8
誕生日にポケモンストアで貰ったおいわいブラッキーを使いました。
当時は参考にできる記事が少なく、珍しく自分で試行錯誤して構築を考えました。
メタグロスと2000に乗った初めての構築でもあり、2000に乗った瞬間は気が付いたら涙が出てました。
この時点で、ぽけっとふぁんくしょんで見る限りはおいわいバトン全1だったと記憶しています(すぐ超されましたが)
・S9
南白オフに出るべく、5日ほど僕の家に居候していたゆうき君と「オニシズクモ強くね? 」ってスタートしました。
この頃は受けループ崩しによくボルトロスを採用していて、鳥=レボルトのイメージを持ってくれてた人もいたみたいです。
(ちなみに僕が2000に乗った構築で一番多く採用しているのはバシャーモ)
僕がミミッキュを初めて採用した構築でもあります。
鹿児島の侍、ふるさんの代が入部したのはこの頃。
最初は大人しかったんですけどね...ふるさん。
・S10
前期の草Z4ウエポンバシャーモは流石に頭が悪かったので、珠馬車を使うことにしました。
この頃から構築の傾向はギミックから対面寄りに。
ギミックはどこかで失敗するとそのあとリカバリーできないのでそれに嫌気がさしたのが大きい...ですかね。
・s11
ここで初めて嫌っていた(?)催眠を使ってみることに。
s7の構築をリメイクし、キュウコンデンジュギャラドスを使っていました。
今思えばこれ、ひるまっくキッズな構築ですね。
結果は1945でした。
この頃は院試のため精神的に疲れていたのか色々変なことをしていました。
何をどうしたらビードロをゲームにしようと思うのでしょうか。
ちなみに完成版リリースの目途は全く立っておりません(構想はあります)
また、「ビードロはシングルが強い」というのを何となく感じていたので、それを活かした企画がしたいと思いできたのが...
こちら。
今年も後輩達が引き継いでくれることとなり、明日(執筆現在11/14)から始まる学祭でも開催されます。
・S12
イワパレスで遊んでいた時のムシZが「強いから」ではなく、「面白いから」という不純な動機でスタートした構築。前期部内2000が0人ということや、学祭前ということもあり気合が入っていました。
ミミッキュで麻痺を撒いて身代わり持ちのポケモンでズルするのを待つという構築です。
また2100を逃してしまいましたが、溶かしきる前に撤退したので最終100位以内に。
ぽけっとふぁんくしょんの上位記事まとめに掲載してもらえたことでブログの閲覧者数が増えて喜んでいました。
この秋には初めてビードロの外へ興味がわき、めざ熊さんの学祭へ。
それまで毛嫌いしていたオフ会(?)の楽しさにふれ、考え方が大きく変わりました。
・S13
s12で回復実カビゴンがとても流行っており、毒々や叩き、トリックで対策が行われていました。
そこで、ノーマルZカビゴンが刺さると考え「ビードロ共有構築」がスタート。
僕は早々にフェードアウトしてしまったのですが、結果としてきゅーりジオンが2100、カノが2000を達成。
5期3バカとか言われたこの3人が同じ構築で結果を出してるのは微笑ましかったです。
学祭後の部内戦でゆうき君が優勝。その盛り上がりの中で今まで認められていなかった「侍」がビードロ言語化。この頃にはビードロはすっかり日本語を喋れなくなっていました。
・S14
ビードロ共有構築で皆が結果を残している中、自分は19止まりだったのが非常に悔しかったのでノーマルZカビゴンを軸にした対面構築を使っていました。
学祭頃から使っていたゆーとぴあさんのヤタピゲッコウガやドレインパンチミミッキュも合流し...
このようなパーティに。
毎期様々な軸を使っていましたが、この構築はここから7世代最後まで使うこととなります。
このシーズンでは九州ポケモンフェスタが開催されました。
オフ会予選抜けを経験できたり、ライバロリさんにサインをもらうことが出来たりと本当に充実したオフ会でした。2次会のお店も本当に美味しかったです。
・S15
九州ポケモンフェスタの帰り道、ひるまっくと「アーケオスをランドロスにして起点を作ったら...?」と話したことから構築づくりがスタート。
アーケデンジュの「知ってる人に何をするかバレてしまうと弱い」という欠点を偽装構築で補うことを目標にしました。
そして...
この後、さらに1勝して最終2124。念願の7世代2100を達成し、最終順位は19位。
それはつまり...あの「Boss Rush」出場権獲得です。
毎期の目標が「とりあえず2000」だった僕とって、Boss Rushは手が届くかどうかを考えることもないようなまさに夢の世界でした。
そんな夢の舞台は毎試合毎試合が憧れ続けた強者たちとの戦い。
自分もそこにいた1人であったことが今になっても信じられません。
そして結果はなんと13位。レートの19位より高い...笑
Boss Rushは勝ち越せたら上々、1500キープでも健闘したと言えると思っていたのでこんな高順位が記録でき本当に嬉しかったです。7世代の1番の思い出はこれかなぁと思っています。
・S16
Boss Rush出場が決まったころ、スペレ考察Discordに招待されました。
そこもシーズン総合1位の方をはじめ有名な方ばかり。
嬉しかったけど肩身は狭かったです。
ミミッキュやカプのいない環境なら!ということでお祝いバトンを組みました。
oras2100を達成した眠るいびきメガサーナイトとまた戦えて嬉しかったです。
こちらも我ながら中々の結果を残せたと思っているのですが、勝てば1ページ目の場面でマンタインのミラーコートを忘れて攻撃してしまいサーナイトが散りました。
この頃、ビードロはPCLで盛り上がっており九州予選を今年も1位通過。
全国リーグまで学校単位無敗で突破し、結果はベスト4。
ビードロも全国5本の指に入るサークルかぁ...。
本当にすごい。改めておめでとう!そして感動をありがとう!
・S17
真王杯ラストチャレンジに出場。
関東のオフは初めてで、構築記事を何度も読みお世話になった方に挨拶させていただいたり、Twitterでよく見る方と対戦させていただけたりと貴重な経験をすることが出来ました。結果は3-4で負け越し(´;ω;`)
ラスチャレ会場で出場を勧めて頂いたので、2日後のHazeにも出ることにしました。
いつもビードロがお世話になっている皆に会え、関東ポケ勢の方と交流もでき非常に充実したオフ会でした。ちなみに対戦はまた負け越し。自信を無くしました笑
ここまで使ってきた構築、ランドカビゲンは明日から開催される学祭でも使用予定なので今はまだ内緒。終わってから記事が上がる...かもしれません。
・まとめ
ビードロの皆と楽しみながら最初から終わりまで、ゼンリョクで楽しんだ7世代であったと思います。
毎シーズン様々な構築を使ったことで、沢山のポケモンに愛着がわきました。
プレイヤーとしても、特にUSUM以降に一定の結果をコンスタントに残し続けられるようになり6世代の頃の比べて成長を感じます。
改めまして、
一緒にレートに潜ってくれたビードロの皆
九州ポケサーの皆さま
レート、オフ会で出会った対戦相手の皆さま
ありがとうございました!
7世代楽しかったです!
・8世代では...
ガチ対戦システムや人口がどうなるのかわかりませんが、もし真面目に潜ることがあれば8世代のどこかで10位以内に入れたらなぁと思っています。
また、7世代でプレイヤーとしてもある程度強くなれたと思っているので、バトレボの頃好きだったマイナーポケモンや戦術、統一を使って対戦を楽しみたいですね。
通話用にキャプチャボードを買うかとか色々考えているので、また遊んでくれたら嬉しいです。
以上、ここまで読んでくださってありがとうございました。